回避性パーソナリティ障害・回避性人格障害
回避性人格障害とは | 特 徴 | 診断テスト |
弊 害 | 思考パターン | 原 因 |
認める大切さ | 対 策 | 関 わ り 方 |
相談のケース | Q & A |
回避性パーソナリティ障害とは
我々の現代を生きる社会には、さまざまな性格・性質・気質を持った多種多様な人達で構成されています。
その中ではとても明るく華やかでいつも自由に発言し、常に多くの人に囲まれて友人や職場・学校などの人間関係も円滑で毎日を楽しく過ごしていらっしゃる方がいる一方で、友人もほとんどいず、自分の意見も言えず、誰とも話さず、いつも自信なさげで独り隅の方にポツンといる方もいます。
もちろん独りが気楽と言う人もいますが、その一方で寂しく哀しい思いをなさっている方が実は沢山いらっしゃいます。その方は自分に自信がなく、人からの批判や悪い評価や拒絶をいつも恐れるが余り、自ら人の輪に入ることができません。
ほんの些細な失敗や相手の何気ない態度を過敏に過剰に捉えてしまい、プライド(自尊心)が傷ついてしまい、全ての人から拒絶されているような感覚に陥り、人との関わりを回避し心ならずも、結局は孤独を選択されてしまいます。
そんな人間関係をできる限り回避しようとする方でも、本心では人とフランクに接し社交的な自分でありたいという願望があり、人に受け入れてもらい、認められ、そして出来ることなら成功を収めたいとの思いがあるものの、それを達成できず常に現実とのギャップに苦しんでいらっしゃいます。
その傾向が特に顕著で、日常生活に支障があれば「回避性人格障害」「回避性パーソナリティ障害」の可能性が濃厚です。
この回避性パーソナリティ障害で苦しんでいる方の中で、親元を離れ独立している社会人の方々は、実家の家族に甘えることは出来ません。どんなに辛くても職場の人間関係に耐えながら自分の力で生活をしていかなければなりません。
しかしその一方で親元や家族の庇護の元、人間関係・社会生活を徹底的に避け、世俗からの関係を完全に遮断し、ニートやひきこもりといった最悪の結果に陥ることが多々あるのです。
あなたが学生で現在学校を休みがちならば、またあなたが社会人で人間関係が希薄で休日も一人で過ごすことが多いのでしたら、このホームページの各項目を是非ご覧ください。
そしてもし、ご自身、またはご家族に「回避性人格障害」の疑いがあると判断されたのであれば早目の対処を強くお勧めします。
何故ならばこの障害は「未病」と言えるもので「改善が可能」です。しかしなんら手を打つことをしなければ、きっかけさえあれば「うつ病」や「社会不安障害」「依存症」などの症状に発展する可能性があります。
放置や先延ばしでこの回避性パーソナリティ障害が解決出来るものではないことをご自身もご家族や周辺の方々もご承知おき下さればと考えます。
回避性パーソナリティ障害 「特徴」
回避性人格障害は「恥の文化」を持つ日本人には特に多いといわれるパーソナリティ障害の一つです。極めて繊細な心を持ち、些細なことにも強く不安を感じ、嘲笑されること、恥をかくこと、批判非難されること、拒絶されること等、自分自身が傷つく事を恐れるが余り、人との接触を過剰に回避しようとする精神障害です。
回避性人格障害・回避性パーソナリティ障害の特徴をまとめてみました。
自分に自信が持てない
他人からの否定・非難・批判・拒絶を極度に恐れその状況を回避する
人の助言に対して素直になれない
自分を好きになれず自己嫌悪が強い
自分の欠点をクローズアップし捉えて離さない
表舞台や華やかな場所には自分は無縁だと思っている
他人を信じることが難しく自分の胸の内を明かさない
人からの評価を気にし過ぎる自意識過剰な面がある
思い込みが強く些細なことで傷つき被害者意識が強い
自己愛が薄く自虐性が強いため常に自分を責め続ける
進学や就活など重大な人生の岐路を乗り切る勇気が無く避けてしまう
マイナスイメージを常に持ち失敗が怖くて何もできない
友人は全くいないか極少数で親友はいない
自分から友人を誘うことは滅多にない
相手から自分への好意が感じられなければ人間関係に踏み込めない
主にゲームやSNSなどのバーチャル世界での交流が中心
感受性が強過ぎあれこれ考え過ぎて疲れ果てる
人と会うと極度に疲れ振り返って数日アレコレ考えてしまう
せっかくの休日も家でゴロゴロし意味の無い過ごし方をする
学生であれば不登校気味もしくは休学している
秘密主義で友人にも本音を言えず遠慮がちである
リスク回避のため孤独を選ぶが心の奥では親密な人間関係を望んでいる
念願叶い親密な関係を得ても その喪失を恐れ自らその手を離してしまう
回避性人格障害・回避性パーソナリティ障害の記述をしているととても悲しい気分になります。特に最後の一文は私自身が書いているのですが、淋しくて辛い一行です。
他者との関わりの中で傷つき・もがき・恐れ・努力し疲れて行く様がひしひしと伝わって来ます。
回避性人格障害・回避性パーソナリティ障害には男女の明確な差はなく、職場や学校などの集団の中に必ず数名存在しています。他人との関わりを避けていつも独り、暗い表情で生気に乏しく話しかけてもオドオドした態度をとり、他人と目を合わせる事さえ避けてしまいます。
心の中では自信が無く私はダメな人間、無価値な人間、他人からまともに相手にされない存在だと思い込み、否定されたり拒絶されたり非難される事を極端に恐れ常に緊張していらっしゃいます。
人との関わりの中では安心できる自分の居場所を見い出せずに孤独を選ぶことで苦しい状態を回避します。一旦はホッとしますが今度は孤独な状況にいる自分にダメ出しをして益々自らを追い込みます。
中には大人しく控えめながら微笑みを絶やさないことで相手に好印象を与えて表面上は問題ないように見受けられる方もいらっしゃいます。しかしその内側では他人からの攻撃を避け被害を受けないように自分の意見を押し込み人に合わせることで懸命に自己防衛している「隠れ回避性パーソナリティ障害」ともいえる方がいらっしゃいます。
その「隠れ回避性パーソナリティ障害」の方もなんとか自分の居場所を確保していますが、絶えず緊張している為長年のストレスが積み重なり、精神に負荷が蓄積されてとても心配な状況です。
人に相談して頼ることもできない為、辛い環境の中、独り苦しんでいらっしいます。
周りの人からは、一人でいる事を好み、他人に無関心で敢えて人との関わりを避けているように見られますが、実際のところは真逆で他人や社会と関わる事を本当は望んでいらっしゃいます。
友人を持ち社交的で自由に振る舞い活躍している、そんな自身の理想像を描きますが現実の姿と余りにかけ離れているため、繰り返し失望され、自分自身にダメ出しをし自ら無用のものの烙印を押してしまいます。
その理想像に程遠い自分は、他人から受け入れられないだろう。何をやっても人より劣る自分は失敗して嘲笑されて恥をかくに違いない。今、この瞬間にも他人から批判・非難・拒絶されていないか、などと常に周囲を警戒し不安感が募り心が休まる暇もありません。
殆どの方はそんな自分を直そうと何度も克服に向けて数々の努力をなさったと思います。啓蒙的な本を読んだり、ポジティブになろうと真面目に取り組まれたことでしょう。その都度深く根付いた自己否定が拭いきれずに失敗と落胆の連続だったことでしょう。
しかし回避性人格障害・回避性パーソナリティ障害は克服出来るものです。
ご自身の幸福や周辺の人達のためにも、もう一度勇気を出して克服に向けチャレンジしてみませんか。
回避性パーソナリティ障害 「弊害」
人間は社会的動物と言われています。
人は社会を構築しその中で生きて行き、他者との関わり無しでは生きられない動物です。しかし、回避性パーソナリティ障害の方は、その大切な「人との付き合い」を避けてしまおうとするのですから、それはそれはとても大きな問題です。
現在では多種多様な価値観が混在し人間関係が縦にも横にも、とても複雑に絡み合っています。このように複雑化した社会では自分の思いはなかなかストレートに通らず辛いこと、我慢することの連続です。それでも人は社会を離れ遠ざかりたった一人で生きて行くことはできません。
社会の中でしか生きられない人間にとって人との関わりを回避して行くことは致命的であり、生存の危機と言っていい程の状態なのは明白です。
まず、回避性パーソナリティ障害の傾向の方は、自分の素直な気持ちを伝える事が苦手です。いつも「自信がなく」「自分を過小評価し」「笑われないか」「拒絶されないか」「軽蔑されないか」と不安ばかりが先に立ち、そして勝手に恐れ秘密主義者のように素の自分を隠し、自分の考えや趣味、日常さえも話題にしません。
そのため親密な人間関係を築くのがとても難しく友人ができないため、軽い雑談も人生の困難な深刻な悩みも相談する相手がいなくて一人で抱え込み「負のスパイラル」に陥ってしまいます。
周りを見る余裕もなく、自意識ばかり強く自分の殻に閉じこもりがちとなり周囲からは理解されなかったり、誤解を生んだりしてそのことで本人は傷つき、益々人間関係を回避し続け次第に孤立を深めていきます。
批判されること、失敗することに敏感なため新しいことにチャレンジすることが苦手です。何事も初めはみんな素人であり、最初から上手にできるはずもないのに失敗や人より下手な事を恥じて尻込みし、自分よりできなかった人にも追い越されみすみす成長のチャンスを逃し取り残されてしまいます。
社会に出ても当然周りは自分を受け入れてくれる人ばかりではありません。自分に好意的な人以外との人間関係は不安でいっぱいです。批判・非難・拒絶を恐れるがあまり心に負荷が掛かり、緊張し自分自身の意見を話せずしどろもどろになり、良いアイデアがあっても自信を持ってそれを伝える事ができません。
才能があってもきちんと伝えることができなければ正しい評価を得ることが当然できません。寧ろネガティブな発想に陥り次第に人との関わりを回避するようになり希望の職業でもないのに人との接触が極力少なそうな職業を選んだりしますが、結果それすら続けることができず社会からはじき出されていきます。
本当は真面目で努力家なのに成果を生かせず、望みの昇進、権力を手にできないため、自分自身は不満とストレスと失望感でいっぱいです。身近な家族とも軋轢を生み家庭不和へと発展し、家庭生活にも行き詰まり、家庭内暴力・離婚・一家離散・孤独と悲しい成り行きを辿ることにもなりかねません。
学生なら不登校になり、社会人なら出社拒否から引きこもりへと、自ら完全に社会から隔絶した状況となり、孤独を選択しますが当然そこで安住することはできません。
引きこもりなど社会と離れただ一人となれば、理想とかけ離れた自分自身と当然向き合うこととなり、苦しんだ上に精神は更に病み、うつ病など身体に不調をきたしてしまいます。実際には実力があり、勤勉で豊かな才能を持ちながら幸福度の低い人生を歩むことはとても悲しく残念な結果です。
回避性パーソナリティ障害の方の本心は、人との関わりや社会の中で活躍し評価され、達成感や成功も望んでいらっしゃいますので社会で存在意義を見つけることができない現実とのギャップにいつも苦しまれています。
人との関わりを徹底し回避し孤独な世界に引きこもったとしても、結局は自分自身が抱いていた「無価値感を現実に確定させた」だけのことで良いことは一つもありません。その先には精神的にも身体的にも、ただただ辛い状態が待っているだけです。
このように回避性パーソナリティ障害を放置してしまうと、上記のような苦しみの弊害が固定化されて行くだけです。ほんの少し勇気を出して改善への第一歩を踏み出しましょう。
回避性パーソナリティ障害 「思考パターン」
「傷つき易い」それは私たち誰にでも多かれ少なかれあることでしょう。
回避性パーソナリティ障害の「生き辛さ」を感じる思考や行動のパターンを「4つのタイプ」に分類して人間関係回避の傾向を見ていきましょう。
過剰反応する回避性タイプ
回避性パーソナリティ障害の中でも「過剰に反応するタイプ」の方は、特に他人の言葉や態度に過敏かつ過剰に反応してしまい、円滑な人間関係を築くことができないタイプです。
他人からの否定や悪意を持った言葉にだけではなく、さりげなく発せられた言葉や些細な態度にも自分の思い込みで強く過剰に反応してしまい 「自分は好意を持たれていない」「きちんと話を聞いて貰えない」「自分になんか関心がないんだ」「馬鹿にされた 」などのように極端な受け止め方や発想をしてしまいます。
相手はたまたま何か考えてて、ほんのちょっと返事が曖昧になっただけかも知れません。しかし回避性パーソナリティ障害の方の過剰反応タイプは、受け止め方に未熟な面が強く、自己中心的に考えるため相手の状況を考慮することや問い正して疑問を解決することが難しく、また相手からの否定や拒絶的な言葉をストレートに受けた時には何倍にも大きく膨らませることにより「自分はダメな人間だ」「生きている価値はないんだ」と、自分の存在の全てを否定されたように思い込み深く傷つきます。
自分の意見を指摘され恥ずかしい思いをした時や、悪意を持った言葉を浴びせられても軽く受け流す事も、自信と勇気を持って跳ね返すこともできません。次第に「自分が傷つけられるのではないか」と、いつも怯えるようになり、人といると緊張と不安からひと時も気が休まることが無くなります。常に動揺し、混乱し、憂鬱となり人との関係に益々消極的になり「回避の連鎖」に陥ります。
人間関係の不安感に怯えるが余り、自分自身の仕事や勉強などの本来の目標が疎かになることが多くなり、悩み多き毎日なのに一向に問題が解決せず孤独感ばかり強まり辛い毎日を送ることになります。
恐怖感の強い回避性タイプ
回避性パーソナリティ障害の中でも「恐怖感の強いタイプ」の方は「自分には良いところなんて無く欠点ばかり」「社会的に受け入れられず役に立たないダメな人間」と、無価値な人間と自らレッテルを貼ってしまっています。そしてそれに基づいた思考をするので、自分がやりたいと思ったとしても「きっと失敗するから」とか、「どうせ評価してもらえないに違いない」と、尻込みしたり逃げてしまったりと、とかく負の行動をしがちです。
「過剰に反応するタイプ」との違いは、自分自身を過小評価しているために「初めからこんな自分は受け入れられない」どころか、非難されたり 攻撃されたりするのではないかと「怯えに近い恐怖心」を持っていらっしゃいます。
「強い見捨てられ不安」の為に大切な人ができたとしても、素の自分を出す事ができません。「こんなことをしたら嫌われるかも」「こんなことを考えていると知られたらつまらない奴と思われるかも」「 こんなこともできないと分かったらダメな奴と思われる」「短所ばかりの自分を知られたらきっとフラれるに違いない」と恐怖心にがんじがらめになり、ノビノビと振舞う事ができません。本当は沢山の魅力があるにも関わらず、自分はダメ人間だと強く思い込み恐怖心がブラックホール化しています。
そんな風に 疑心暗鬼に相手の顔色を伺い、相手のちょっとした言葉や仕草にも「嫌われたかも」と、推測を元に勘ぐりが多く、怯えてしまい萎縮ばかりではいつまで経っても自分の良い面を出すことは出来ません。
相手を見ているようで、実は相手の行動に自分の負の感情を当てはめ、不安感をつのらせます。理由は自分に自信の無い為ですが、それではいつまでも相手を信頼することは難しく、また相手から信頼されることも難しいでしょう。
「愛し愛されたいけど素直になれない」「相手の事も素直に受け取れない」「自分も相手も信じられない」そんな思考を繰り返し、いつしか相手から傷つけられないように一定の距離を置くようになり、益々孤立を深めて行きます。
信頼と温かい交流を求める気持ちが強いだけに、孤独な環境での寂しい毎日は殊更に辛いものです。
自己を見失う回避性タイプ
回避性パーソナリティ障害の中でも「自己を見失うタイプ」の方は「人と関わる不安」を感じないように、ただひたすらに内面世界に引きこもるタイプです。
自分の空想の中に安全な場所を作り、現実社会の対人関係から遠ざかろうとします。
又はゲーム・ネットなどのバーチャルな世界に自分の居場所を求める方も多くいます。
バーチャルな世界で遊ぶことでストレス発散となり、本来なら自分自身を保つため有効な手段のひとつなのですが、「現実社会からの逃避」が目的でバーチャルな世界に住み続けることは、根本の問題から目を逸らしているだけです。
仮想世界では現実の自分とは異なった自分を演じたり、理想のヒーローになることもでき、自分の居場所を見つけたように錯覚し一時的には満足します。
今はチャットなどで名前や性別さえも自由に変えることができ、見知らぬ人を相手に違う自分を演じ、友人もでき居場所もできます。
中にはそこから脱出の手掛かりを見つけ、現実社会の友情にまで発展する例もあると聞きます。しかし殆どの場合には仮の姿で自分自身に対する否定感は残ったままです。こうした世界に浸り続ける事で「不安感」は一時的に回避しますが結局は空想の世界であり、現実社会に戻れば相変わらず無力で無価値な自分と向き合うことになります。
問題の先延ばしをし、時間を無駄に重ねることはこの苦しみを単に増幅していくばかりであり、自分自身の評価を一層低くすると共に身の置き場のないものにしていきます。無価値に思う自分を大切にできる筈もなく、自分自身の将来は元より、健康や身だしなみにも気を遣わなくなり、ついには自分の感情・希望・思いさえにも無頓着になり、正味の自分自身をも見失ってしまいます。
葛藤する回避性タイプ
回避性パーソナリティ障害の「葛藤するタイプ」の方は、決して人間嫌いでも、本心から社会との隔絶を求めている訳でもありません。「人ともっと関わり合いを持ちたい」との欲求を実は人並み以上にお持ちなのです。しかしその一方で「人と関わることで自分は非難されたり恥をかいて傷つきたくない 」との希求が余りにも強く、相反する欲求が交錯し葛藤にいつも苦しんでいます。
真面目であり控えめで努力家の方が多く、理想とする人間関係のパターンをお持ちです。友人と楽しく交遊しその中で自分が認められ評価されたり感謝されたい等の求める姿を描きます。社会の中でより良いポジションを得たいと思っていますが、現実は他人に自分の言動や気持ちをなかなか希望通りに受け止めて貰えないことが多く、どうして自分は正しく評価され理解されないのだろうと、理想と現実との落差に自信を失い苦しんでいらっしゃいます。
「こうあるべき」との自身の思い込みが強く「期待と幻滅」を繰り返すタイプとも言えます。例えば、たまたま気が合い会話が弾み良い人間関係を得たとします。嬉しくて相手に対して素晴らしい親友ができたと期待が膨らみます。勝手に理想像を描くこともあります。相手が期待通りの反応なら「私の全てを理解し受け入れてくれる理想の人」「運命の人」と幻想を抱き、救世主のように慕い自身の全てを託そうとします。が、一度見合わない事が起きてしまうと非常に落胆し幻滅し、深い絶望を感じてしまいます。自分の思いを裏切られたと 被害感情を持つ事さえあり、相手に対し侮辱したり攻撃的 になり問題行動を起こすこともあります。
回避性パーソナリティ障害の「4つのタイプ」の中でもこの葛藤するタイプの方は他人に対する攻撃性が強く、幻想と絶望の両極端な感情の動きを「理想家のこき下ろし」と呼び、これは「境界性人格障害」にも共通して見られる特徴です。
どのタイプも 不本意な環境に身を置き ニートや引きこもりといった幸福感に乏しい状況 に陥る危険性があり改善して充実した日々に変えていきたいものです。
回避性パーソナリティ障害 「原因」
回避性パーソナリティ障害の原因は、今までは「遺伝的」のものと「後天的」なものの両面で考えられてきました。しかし「回避性人格障害」に該当する殆どの方は「後天的」なものであり、過ごして来た家庭環境や親の子への接し方が原因であることが多いです。
幼い頃に自分自身が、「親からの暴力や言葉による虐待」を受けたり、また「両親の争い」や、「親と兄弟の争い」や、「親からのいわれのない否定・非難や拒絶 」また両親共働きで子に対し「関心を持たないネグレクト家庭」であったり、いづれにせよ、自分自身を両親から受け入れてもらえなかった辛い「機能不全家族」の中で育った経験を持っています。
充分に接してもらったり、構ってもらえず、「愛情を感じることもなく成長した」か、もしくは愛情があっても過干渉過保護」である場合でも「回避性人格障害の原因」となります。
個人社会とも言われる現在の人間関係が希薄な中で成長して行かなければならない子供にとっては、親の存在は絶対的です。子供がある程度の年齢までは、養育者であり保護者である親と殆どの時間を共にし、親の価値観世界観や、その時の状況による些細な感情までの全てを子はそのまま受けて止め、自分自身に転写し成長して行きます。
親からの愛情を受けることなく、心からの安定感ある最上級の安らぎを知らないまま、常に不安と緊張の中で育った子供は人に話し掛けられても親の陰に隠れ、暗い表情でこちらを伺います。子供特有の無邪気さがなく引っ込み思案の扱いにくい子供として距離を置かれてしまいます。そして子供からも他人に対し距離を置くことになります。
昔のように親戚ご近所関係が濃密であったなら、おじいちゃん、おばあちゃん、ご近所さん、多くの子供社会によって誰かが必ず救いの手を差し伸べてくれたでしょう。現在のように、ファミリーが中心の家庭では、子供が社会性を養う機会は限られてしまいます。こうしたことの繰り返しにより 子供は他人との関わりの中で自分に対する肯定感を感じる事が少なくなり、人間関係を上手に築くことが出来ないまま成長していきます。
親や周りからも、「扱いにくい子」「愛想のない子」「社会的に馴染めない子」「協調性がない子」と、悪いレッテルばかりが貼られ、それが自分自身の生まれ持った資質と誤解され定着します。「あなたは生まれた時からそうだった」と親に勝手に認定され、本人もそれを信じ込んでしまいますから、行動や考え方も「これが自分の個性だ」と、それに基づいて納得し諦めてしまいます。
人間関係の中での喜びをさほど経験することなく育った「不幸な生い立ちが原因」なのに、親の自己責任を逃れるために「子供自身の性格に問題がある」と決定づけられ辛い状況に置かれてはとても不条理です。
また、過保護で過干渉な親の元に育ち、自分の努力による達成感を味わうことなく 人間関係の中での喜びを経験する事なく育つ事も回避性人格障害へとつながります。
赤ちゃんにとって世界は新鮮で好奇心に満ちてます。何にでも興味を示し大人にとっては些細なことである、風や雨の音、虫の声、紙袋のガサガサ音、箱から出てきたお菓子など、何にでも幼子は驚き喜びます。好奇心を満たし、喜び、驚き、発見や達成感を繰り返していくことで自分自身のアイディ ンティを確立していきます。
もし「こっちのおもちゃで遊びなさい 」「そんなつまらない事するんじゃありません」「服が汚れるから汚いものに触らないで」 そんな風に大人の価値観を持って注意され非難され怒られ続けたら、喜びや楽しむ感情は育ちません。
例えば自由に気の向くまま粘土を楽しんでいるとします。大人目線で上手に似せてないとけなされたらガッカリします。 こうあるべき、上手に作りなさいと、親は才能を伸ばすための教育の一環かも知れませんが、本人は楽しさを奪われ、親の価値観を押し付けられたことにもなります。
白紙の状態で生まれてきた子供は、 親もしくは周囲の大人から無条件に愛され受け入れられた経験を経て、初めて自分が大切な存在であることを自覚し確信することができま す。でも、相手の要求や希望を叶えることが出来た時だけ認められたり、愛されたりであれば、自分に自信が芽生えることはなく、相手に対し親愛の感情も、自分を認め愛する心も生まれません
不条理に親から非難否定され続けたのであれば、自分を無価値なものと思うのは必然です。そして、こんな価値のない自分は人に認めてもらえない、受け入れられないのではないかとの不安から他人に対し過度な恐怖心を持ったり、自信が持てないことから自分を素直に表現できず常に萎縮してしまいます。
価値のある人間になろうと努力し試みますが、他人の評価は相手任せの気まぐれです。努力が報われなければ、やはり自分のようなダメな人間は愛されない、受け入れてもらえないと失望することとなるでしょう。
結果、社会の中で自分の居場所を見つけることも叶わず、自身の持つ劣等コンプレックスにより極度に人を恐れ、人間関係を逃避し回避するに至ることになります。
回避性人格障害の原因を正しく良く理解し、問題は自分自身に無いことをも自覚し、この問題を解決するために舵を切る準備を始めよう。
回避性パーソナリティ障害 「認める大切さ」
あなたが今、孤独を感じ辛い状態にいるのであれば、それは育った環境や未熟な親に養育されたことにより、現在の社会で生きていくための基本的な精神や人格を身につけることが出来なかったことに起因します。
本題にある「回避性パーソナリティ障害を認める大切さ」の、一体なにを認めるのか? ただ単に「回避性パーソナリティ障害であることを認めて下さい」と訴えたい訳ではありません。それに至る「起因」を認めて頂きたいのです。
「回避性パーソナリティ障害の本質は自分ではなく、親が子に与えた環境が起因である」
これを認めていかなければ、根本的な改善は不可能だと言っても過言ではありません、先天的なものだとして、自分に問題があるとするのであればこの問題は生涯ついて回ると考えて下さい。
たとえ教育熱心な親ではあっても、情操面の充足がなければ偏った人格が作られてしまうのは必然です。
白紙の状態で生まれた子供は、親や養育者から十分な愛情を得ることにより、初めて自分が無条件に受け入れられ、愛され認められる、揺るぎない存在と確信出来るようになります。しかし、その確信を得られないまま、人と関わろうとしても必要以上の警戒心や疑心感からのスタートとなり、そして自ら壁を作ってしまい、結果、あなたが望むような絆を結ぶことは実際には難しいでしょう。人と関わることで傷つき恐れるようになり、現在の人間関係の回避傾向に至ることになります。
親の愛情不足が原因で、とても辛い境遇の幼少期から思春期を過ごしたとしても、子供は心底親を否定することは滅多にありません。「親も忙しかったから」「親も大変だったから」などと「親を庇い、擁護」し、この苦しみは自分の性格や努力が足りないためで、こんな自分は親の期待に応えられない駄目な人間、無価値な人間だと、親にフォーカスせずに、常に自分自身に原因を求め責め続けます。
自分を生んでくれた親は、確かに誰にとっても特別な存在です。親の愛情を疑うより自分を責める方が情に叶うのかも知れません。親から受け継いだ価値観に対しても、それを改善したり、手放すことは親に対する裏切りのように感じ、現状の思考にしがみつく方も多く見受けられます。
しかし、その様な現状を手放さない思考のままでは、いつまでたってもこの辛い状況から抜け出すことは出来ません。 「どのように育てられ」「どのような言葉や仕打を受け」「傷つきトラウマとなったか」その心の傷を持ったまま成長し、その過程で現在の考え方の癖が身についたかを知った上で、周囲や家族との関係、特に両親との関係を見直す必要がありますが、その作業は親や、親の価値観で形成された今の「自分自身を否定、非難する」ことも必要となり、受け入れ難く辛い 思いもします。
しかし、どんな家も土台がしっかりしていなければ立派な家は立ちません。土台をしっかりさせるためにも、自分の考え方を今一度しっかりと検証し、問題ある部分の認識を組み直す必要があります。 自力でなんとか困難な状況を改善しようと努力したとしても、根本的に自分に矛先を向け、否定し続けている状況では、決して望む結果が得られる筈もなく、益々自分を無価値なもと認識を深め無力感を増していくばかりです。
あなたを理解せず、愛さない者にあなたの人格や人生を決められて、それで幸せになれる筈がありません。人生を生き抜く力を親から与えられなかったのなら、自分で掴みとるところから始める必要があります。回避し殻に閉じこもったまま、ただ悩んでいても誰も助けてくれない事にあなたは既に気付いている筈です。
今現在の、自分自身の評価や、考え方の傾向や価値観は、成長期に親や周りから押し付けられたものであり、他人の勝手な価値観にしか過ぎまません。 今まであなたなりに、心理本をはじめ、自己啓発や啓蒙的な書籍、ハウツー本を読むなどして、変わろうと努力された方もおられると思います。しかし、ご自身の形成過程や現在の状況、本来の自分を把握しないまま闇雲に変わろうとしても徒労に終わるケースが殆どです。
どんなに素晴らしい地図を持っていても、まず自分の今いる現在地を把握しなければ、前に進み歩き出すことは出来ません。
今一度、ご自身の悩みや苦しみなどの問題点を客観的に見直してみましょう。
自分がどういう環境で育ち、どういうことを親に言われ、そして傷つき、現在の考え方に至ったのか。また、どんな思考パターンを持っているかを知り、見逃していたこと、見て見ぬ振りをして来たこと、避けて来たことなどを一つ一つ振り返ると共に整理整頓をした上で、現状の考え方を望む方向の自分に向かうよう修正していくことが大切です。
何度も繰り返しますが、親によって植えつけられた情報を鵜呑みにし、自分自身の持つ精神構造を間違って決定したままの状態では、誤った場所からのスタートをしてる状態であるために、どこまで行っても目的地に辿り着くことは叶わず、迷子のままに等しいと言えます。
あなたは不幸にして、自分の価値観を優先する親に育てられ、間違った情報によりあなたの人生を決定づけられ、その不条理に困惑しながら、自分自身の考えを優先出来ないまま生きてこられました。
しかし大人として成長したあなたは、人の世話を受けないと生きられない、幼児ではありません。自分で道を切り開くことができる筈です。
そろそろ自分自身の、負の感情のスパイラルから抜け出さなければなりません。人間を回避する傾向にはそれなりの理由があり、それらの殆どは親が子に与えた環境によります。
「親が起因することを認めることは最重要項目です」
誤った親から授けられた考え方の傾向や癖を知り「回避性パーソナリティ障害」からの脱出への道を歩み始めてください。
回避性パーソナリティ障害 「克服への対策」
現在では、パーソナリティ障害・人格障害は、認知療法・行動療法などにより回復が可能な障害です。ただ、長い年月に染み付いた考え方を見直し、傷ついた心を癒し、新しい考え方を再構築していく作業は、地道であり、時には一進一退の作業となります。
そして何よりも、ご自身が新しい自分に生まれ変わるんだという決意がなければ何も始まりません。例えて言うならば、自分自身を産み直し、子供を育てるように、 産みの苦痛と育児の忍耐を必要とするものです。勿論、その反面には産みの喜びと成長の楽しさもあります。
まず、自分の思う自分への印象や特徴を考えましょう。「 人がどう思うかが気になる」 「 自信が無いからとても積極的になれない」 「自然な会話ができない」などの性格のマイナス部分を治すにはどうしたら良いかを考えます。中には「思慮深いところが長所かも知れませんが、考えてなかなか行動できないので結局は短所だと思います」と長所すら短所にしてしまう謙虚な方もいらっしゃいます。短所を直し長所を伸ばす、一見理にかなったようにも思えます。ですが、長所や短所と一体誰が決めたのでしょうか。
学校の先生にとっては、椅子に姿勢良く座り、きちんと話を聴く子は「 落ち着きがありとても良い子」 となります。また、リーダーシップは長所となりますが、全員リーダーになっても困ります。その性格が長所なのか短所なのかも、個人の基準からの勝手な判断でしかありません。人は相手に欠点だと指摘しますが、それはその人の思惑で有り、他人の都合で勝手に決め付けられているだけのことです。極端な言い方をすれば、あなたには欠点なんて無いかもしれません。そう考えればあなたの全てが長所である、とも言えるのです。
自己を全否定し、劣る人間と卑下し、完全なる性格改善を求める必要もありません。ただ ご自分の思考パターンを今一度しっかりと見直し、生き辛さから脱却し、幸福度の高い考え方に舵を切っていきましょう。
機能不全の家庭に育ったために、今は機嫌がいいだろうか? 今話しかけても怒られないかな? と、絶えず親の顔色を伺いながら育ったならば、社会に出て人と接したとしても、絶えず緊張し警戒してしまいます。もし、相手から自分に向けて笑顔や好意が得られれば、安心して接することも出来ますが、受け入れられていると確信できない相手には、不安で警戒してしまうのは当然ですし、相手もその空気を察知し積極的に出ることが出来ず、結果引いてしまうことになるでしょう。
いつも笑顔で 受け入れてもらった子供は 警戒心も少なく自分から笑顔で接するので相手も安心し、心を開き接してもらえます。
新しい事にチャレンジする時あなたはどうでしょう? 失敗を恐れて尻込みしそうですか? 尻込みしてしまう理由は何ですか? 失敗するとカッコ悪いですか? 笑われたり、ダメな奴と思われるからでしょうか? 恥をかくことを常に恐れていませんか?
そんな発想は、何処から来ていますか? 親や周囲から、どうせやってもできないでしょう? ほら失敗した!みっともない、やっぱりあなたはダメだわ!などと言われて来たからではないのでしょうか。
もし、親がこんな態度で接してくれたらどうでしょうか?「ワー面白そう! 」「難しい事にチャレンジするあなたは素晴らしい!」「もう少しで出来そう、ガンバレ!」「あなたはきっとできる !」 と、あなたのやること考えることに共感し、成功を共に喜んでくれる、そんな環境に育ったなら、失敗を恐れず、どんどんチャレンジできる人間に成長したかも知れないと思いませんか?
こんな風に、考え方が出来れば、まず行動が変わり、そして結果が変わります。 自分の考え方の癖を知ってください。 それに対して違った考え方もあることを学んでみましょう。自分の持っている価値観が唯一の価値観ではなく、違った価値観もあり、価値観を変え、思考パターンを変えれば成功への道が拓けます。
素敵な考え方をみつけ、自分のものとしていきましょう。
こうして自分自身の考え方や成り立ちを検証し、気付き認めていく上で色々な感情が生まれてきます。時には押し込めていた感情が顕在化し、 一気に溢れてくることもあります。 自分が辛かった思い、我慢してきた思いが溢れ、収拾がつかなくなることがあったとしても、それも大切な過程です。
また、親に対する憤りが芽生えることもあります。 自分を苦しい存在にした親に対する非難の感情と、それでも親の庇護がなければ生きて来られなかった自分の存在、様々な思い出が交錯する中で、愛憎が表裏一体し困惑することもあります。ですが、その時々に生じた思いを認め、癒し、整理した上で、行き場のない悲しみや辛い経験も自分の中の一部と考え、それを乗り越えていくことが大人に成長することとも言えます。
お金持ちの家、貧乏な家、地域の差など、生まれた環境はそれぞれ異なり、残念ながら人は平等ではあり ません。しかし、愛情のない環境に生まれ、社会の一員である確信を得ることなく育ち、不適合、無価値の烙印を親に押され、自ら道を開く手綱を与えられなかった状態で生きていくのはあまりにも不条理です。残念ながら、親や養育者から幸福に生きていくための学びの機会を与えられなかったのなら、自分で学び取らなければなりません。そのためには、まず自分自身を受け入れ愛してあげてください。 あなた自身が自分の良きファンとなり、そして自分を子供に褒めてあげるように沢山評価していきましょう。
失敗してもチャレンジした勇気を認め、小さな進歩を喜んでください。そして余裕ができたなら、自分だけでなく周りにも目を向けてください。生まれたばかりの赤ん坊のように何にでも好奇心を持って周りを観察し、そして自分を客観的な目で見つめてましょう。周りも自分と大した違いも無く同じだとか、自分は結構いけてるとか必ず発見があるはずです。
あなたは、たまたま、あなたを歓迎しない親、未熟で子供より自分を優先する親の元に生まれてしまっただけです。 ですので自分自身の本質ではありません。自然の摂理の中で生まれたあなたは、人の思惑に惑わされず、それを超えて生きる権利があります。あなたは自分のスタイルを築きましょう。
そのためには根拠も条件もいりません。ただ自分を認め、受け入れる。自分は愛される存在と決定し、実際にそう振舞っていると不思議なもので徐々に、人があなたの前にチラホラ集うようになっていきます。一人で自分を見つめることが辛い時、溢れた感情を整理できない時、どこから始めてよいのか解らない時、自分の気持ちが不確かな時などがあれば、いつでも私どもセラピーをお尋ねください。
あなたに不釣り合いな、他人の価値観という重い上着を一枚一枚脱ぎ捨て、軽装に着替えるように自分を取り戻し、自分の人生においては自分が主役として生きていける術を身に付け、より良い人達と共に楽しく有意義に生きて行きましょう。
回避性パーソナリティ障害 「関わり方」
回避性人格障害と思われる方への関わり方やアプローチにはなかなか難しいものがあります。
家族、特に親が「回避性人格障害と思われる子」への関わり方は、なんとかしようとの思いでコミュニケーションを取ることは避けられた方が賢明です。
なぜならば、その子の性質をもたらせた原因は親子関係にあるからです。親が子へ何を言っても恐らく何も伝わないどころか悪化することが考えられます。
妻が回避性人格障害と思われる夫に良かれと思い助言しても同様であり、益々逆方向に行きがちです。
家族の方々には、基本はそっとしておいて頂いた方が良いと思います。
第三者、同僚、友人などがさり気なく散歩や映画やカフェなどに誘って頂ける程度が賢明です。
出来ることなら私どものような専門に取り組んでいるところに相談にして頂き、克服に向けての取り組みを実行されることをお勧めします。
そもそも「回避性人格障害」の方は親密な対人関係を築くことが苦手で、自身の問題を人に相談したこともなく、抱える問題を口にして表現することすら困難かもしれません。
しかし心を閉ざし一人で悩んでいても同じ所をただひたすらグルグル螺旋のように回り、苦しい状態が続き、益々解決の糸口が見つけにくくなります。
長い間、常に他人の評価や価値観の元に行動し過ぎ、人生そのものがあなた自身の気持ちを中心に回っていないのではありませんか?
他人の価値観や常識の渦の中に、自分自身の思いや感情を見失い、間違った思い込みのせいで自身を無価値なものと思い社会と積極的に関わることが難しい状況に辛い思いをなさっています。
セラピーでは 心理カウンセリング・コーチング・認知行動療法等の手法を その時々の状況に合わせて駆使していきます。
それにより根本原因である「対人への不安感」を軽減するとともにあなたが自分自身の価値観をしっかり見出し、社会に安心できる居場所を見つけられるような考え方へ修正することが肝要です。
今までの人間関係からの逃避、回避行動を、あなたが人間関係への恐れを克服し、自己肯定感を育て、自分らしい人生を送ることをゴールと設定し、サポートさせていただきます。
回避性パーソナリティ障害 「相談のケース」
A子さん(40歳)は、お母さんと、とても仲良しでした。
お母さんは周りから娘を、「良いお嬢さん」と言って貰いたい。
そして幸せな結婚をして欲しいと、A子さんを厳格に育てました。
子供の頃より、習い事、服、学校、仲良くする友達に至るまで、何でもお母さんが選んで決めてくれました。
母親に従順である限り、お母さんからは叱られることがないので、いつも良い子でいようと心掛けていました。
たまにA子さんも自分の意見を言うのですが、聞き入れてもらえなかったり、褒めてもらえずガッカリしたり、時には小馬鹿にされ恥ずかしい思いをし、結局何をしても自分に自信が持てず、自分で判断することをやめ、益々母親を頼りにするようになりました。
いつしか社会に出ても、わずかな失敗を恐れ、少しのミスをしても自分はダメだと思ったり、人から注意を受けたり叱られたことも、全員が自分に対してダメな人と過剰に大きく捉え、常に不安と同居し疲れてしまい仕事も長く続きません。
お母さんの期待通りの相手を見つけ結婚をしたいと望みましたが、自分の好みで相手を決めることよりも、親が気に入るかどうかとの思いがいつも頭の中に有りました。
母親との世界が濃厚過ぎ、外での人間関係も希薄なため、男性とどう振る舞って良いのか分からない上に、自分に自信が持てず、交際も思うようにいかず現在も独身のままです。
母親の描いた理想に応えられない自分を、無価値なものと捉え、無気力になり 体調も崩れ、度々家に引きこもることもありました。
A子さんの場合 母親の過干渉の結果、自分に自信を持てず 無用な不安感や恐怖感に怯える現状を認めることから始めました。
幼少期からの家庭環境を整理整頓し、母親主役の脇役人生から、A子さん自身が主役の人生への意識改革を進めることにより、唯一無二の存在であることを確信出来るよう考え方の改善をすることが出来ました。
現在は親子共依存からも脱却し、精神的にも身体的にも完全に独立し、周囲との人間関係にも積極的に取り組むことが出来、自分の価値観での生活を大いに楽しむようになり回避性人格障害の克服を成し遂げました。
回避性パーソナリティ障害 「Q&A」
Q
今までも ポジティブになろうと努力しましたがその都度 挫折してきました。
考え方を変えるだけで性格の根本は変わりますか?
A
あなたは今、失敗して恥をかくのでは・・受け入れてもらえないのでは・・希望する評価が受けられないのでは・・など、漠然とした不安感や恐怖心のために 社会と関わることに消極的でいらっしゃいます。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花 」の例えのように、不安や恐怖の根源を知り 自分の思考の成り立ちを客観的に見つめる事が出来れば、 その不安が自身の思い込みからくる妄想であり 不要のものであると確信されることでしょう。
今までのご自身とは別の視点で物事を捉えるようになり 多様性を持って物事に当たることができますので人生に余裕ができます。
Q
心療内科に通っています。薬を飲まないと不安ですが続けてもいいですか?
A
薬は一時的な対処法でしかなく、特に抗精神薬には脳や人体にも影響が考えられますので余りお勧めはしませんが、 不安解消のために必要と感じられる間は中止を求めることはありません。
段階的に医師と相談の上、減薬を積極的に取り組まれることが賢明です。
セラピーでは薬に頼ること無く、考え方の再構築により生涯にわたる改善を目標とします。
気づけば、自然と薬を必要とならない状況になられていることでしょう。
Q
自分でもどうしてこうなったのかよく解らないし、現在の状態や苦しみを上手く説明することが出来そうもないのですが大丈夫でしょうか?
A
自分自身の感情を長い間閉じ込めてきたり見失ってきたりした状態の今、自己表現などをする事は初めはとても難しいことです。
負の感情が無意識に働き、言葉にすることを阻みます。
セラピーでは自分自身の気持ちを発掘するお手伝いをいたします。